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メリオンGCの幽霊の隠れ家

一見すると、これはゴルフの話だ。それはもちろんメリオンの話をするからだ。だがこれは、同時に幽霊の話でもある。なにしろ、メリオンには幽霊がウロウロしているのだから。フェアウェイ上に。スパイクマークの中に。2階にあるボビー・ジョーンズ・ルームの中に。ベン・ホーガンの額の脇に。

そして、あるクラブハウスの特別な隠れ場は、幽霊の世話のためだけに使われている。

それは、トロフィールームの反対側、1913年9月、今年の全米オープンの舞台が開業してから約1年が経とうという時の話。7人のゴルフの“始祖(グランドファーザー)”たちからクラブに贈られた、グランドファーザー・クロックの向かいだ。そこには階段があり、図書室まで続いているのだが、さらに小さな階段を上がると、おなじみの籐網のかごで飾られ、丹念に磨き上げられた分厚い松の扉がある。そして、その向かいのアーカイブ・ルームで魂は元気に育っている。

メリオンGCが、ゴルフ界に現存する聖地の1つだとすれば、ここは舎利殿に相当するだろう。信徒の幅広さを考えたら、アラジンの洞窟という方が、より相応しいかもしれないが。小物や宝石、書類や写真。これらすべては、献身的な護人であり、生けるメリオンの伝道者ジョン・ケイパーズIIIが、プライベートクラブが所有する最高の総合施設と主張する場所を彩っている。全ての工芸品は細かく分類され、書類は1つ1つ丁寧にファイルされている。それというのも、ケイパーズ曰く、過去を保存することは、知られている進行形の現在を、未来へつなげる橋渡しの意味を持っているのだ。

1981年にデービッド・グラハムがトロフィーを持ってアードモアから立ち去った後、永久にお蔵入りしてしまったように思われた、全米オープンへのつながりとアイデアについて考えてみよう。

その前に、はっきりさせておこう。私はこの物語の中では、中立なツアーガイドではない。過去2年にわたり、このアーカイブは私のお気に入りの1つとなった。いや、取り憑かれてしまった、と言った方がいいかもしれない。ここまでハマったのは、私がゴルフの歴史、ゴルフが生まれたコミュニティを愛しているからであり、一般的にどうやって保管してあるか、特にこのアーカイブの場合、歴史をコミュニティに特化している様に惚れたからだ。もちろん、ケイパーズの献身にも感化された。そして、それなしには、このクラブの新しい歴史を調べ、執筆するという行為が、私にとって古典的なホラーを書くことに成り下がってしまう。その代わり、私は1世紀以上に及ぶ真実、数字、リポート、そしてもちろん再び取り上げられ、日の目を見ることを待ち続けていた幽霊を発見した。

温度調整された壁には、メリオンをメリオンたらしめる物が保管され、それらは触ったり、読んだり、見たり、そして汗じみを気にしないのであれば、着たりすることができる。ジョーンズからの手紙? それは後ろの壁にある。ホーガン、ジャック・ニクラス、アーノルド・パーマーからの手紙と並べられている。ロゴ入りのメガネ、皿、陶磁器、マッチ箱、ブレザー用のパッチ、キーチェーン、ディボット用の道具? それらは、1930年以来、メリオンで争われているナショナル・チャンピオンシップの出場者バッジと一緒に、棚に陳列されている。“ホワイト・フェイス”と呼ばれるバンカーを加えて完成したイースト・コースを描写する刺繍、メリオンの最高責任者を務めたバレンタイン父子が1921年から1989年に残した赤い革表紙の日記もある。時間が気になる?だったら、1981年の全米オープンで使用されたオフィシャル時計を見ればいい。まだ時を刻み続けている。

1981年にグラハムが優勝した時のパター。ベン・ホーガンが大会で使用したアイアンセット。クラブに所属した古きプロたちが作ったヒッコリーの芸術品? 2005年全米アマチュアの最終ラウンドで、エドアルド・モリナリが着ていたサイン入りシャツ(ケイパーズ曰く“これは洗濯すらしていない。あの日が涼しい日でよかったよ”)。これらは、建物の描写や、何百というゴルフ本、そして何千という新聞や雑誌の記事、大会記録、プログラム、数々のクラブ委員会からのリポート、クラブの行事の年報や、ナショナル・チャンピオンや地元キャディの写真など、ありとあらゆる物が収められたメタル製のファイル棚と並べられている(これらのうち90000点以上のスクラップや10000点以上の写真はデジタル化されている)。唯一見当たらないのは、1971年にリー・トレビノが持っていたゴムのヘビだろう。

「リーに聞いたんだ」と、大切なものが1つ欠けていることを渋々認めたケイパーズはため息をつきながら言った。「でも、リーも持っていないんだよ」。
メリオンと同様、このアーカイブもゴルフ創世記から存在するような気がするが、1865年のメリオン・クリケットクラブまで歴史をさかのぼれるメリオンに関して言えば、まだまだヨチヨチ歩きの段階だ。クラブ会員のジョージ・スクダーが1980年代に取り組み始めたが、アーカイブとしてしっかり機能し始めてから、まだ10年経ったくらい。自分が集められるクラブの歴史に関する物やメモラビリアを集めて保管しようというスクダーの直感は完璧だった。だが、男子ロッカールームに隣接した室内ネットの脇にある施錠できる倉庫に、収集したものを保管して置いたことは間違いだった。

この部屋は、夏は暑く、冬は寒い。さらに、壁がある意味は多少あっても、湿度が壁をくぐり抜けてくる。1990年代後半にイースト・コースを再生する最善の方法を考えた時、スクダーの持つ骨董品の中に、古い写真がないか聞いてみることになった。スクダーは、ジョーンズがグランドスラムを達成した1930年の写真を山ほど提供したことで、趣味が使命に変わった。

この写真は、修復工事のゴールを決める貴重な資料となった。グリーンを小さくし、ホワイト・フェイスを変えることで、木がうっそうと覆い茂るコースを、その歴史の頂点へと回帰させることになった。そして、このおかげで、USGAはメリオンを再訪の価値があるコースとして認識するようになった。

メリオンの過去は、倉庫の中にしまっておくだけではもったいない。「とにかくたくさんの代物が揃っていたんだ」と、スクダーのコレクションに、自身が集めた1990年代前半の貴重なコレクションを加え始めたケイパーズは語る。「だけど、どうやって整理整頓すればいいのか分からなかった」。

これを手掛けたのが、アンディ・マッチである。2000年後半、博士号を取得するため、博物館とアーカイブの責任者を務めたUSGAを去ろうとしたマッチに、スクダーの長年にわたる愛の結晶を洗練された現代風の記録に変えるために、その専門的技術を貸してくれないかとオファーがあった。返答はこうだ。「それ以上の名案はないね」。

作業は2001年1月から開始された。「納屋のような建物の中にある、凍えるような寒い部屋に、段ボール箱とその他諸々の資料が山積みにされていた。誰かが整理してくれるのを待っているようだった」と、マッチは振り返る。

そして、解明が始まった。「まるで、野菜スープの材料を探り当てているようだった。ニンジンはこっち、チキンはこっち、セロリはここってね。資料をそれぞれに山分けしていったんだ」。目の前の資料を分類し、系統立てて、コンピュータのデータベースに入れ終わった頃には、野菜スープの解説は終わり、初期のメリオンで使用されたスコアカード、昔のクラブ・ハンドブック、ジョーンズからの手紙など、しまい込まれていたお宝が日の目を見た。適切なアーカイブ用のボックスを使用したり、個別にファイルして、お宝を保護した。

それから3年、マッチはアーカイブ棚の中の収容品解析に没頭した。2003年には、常時展示できる準備が整い、ライブラリーの裏にある役員室に収容することが決まった。「役員室はひどい状態だったけど、アーカイブ室にするには完璧だと思ったんだ。それは、少し奥まった場所にあり、最小限の自然光が差し込む部屋だった。コレクションを安全に保管し続けるためには、大きなプラスとなる。作業をするには十分の広さがあり、効率よく管理するにはうってつけの狭さだった。




数ヶ月後、2001年に84歳で他界したジョージ・スクダーにちなんで名付けられた、ジョージ・スクダー・ルームがオープンした。「ジョージ・スクダーさんには一度もお会いしたことがなかったが、これが彼の人生そのものだったことは確かだ」と、アーカイブのコンサルタントを続けるマッチは言う。「整理整頓が出来るタイプではないが、歴史を愛したことは確かだ。彼の個人的な勉強でもあった。ジョン・ケイパーズが現れるまで、スクダーさんほど時間を費やした人物はいなかっただろう」。

もちろん、ケイパーズはその場にいたが、コレクションが新しい場所に移り、その保存を目的とした委員会が設立され、委員長に就任してから、アーカイブはケイパーズの助けを求めるようになった。

もじゃもじゃの白髪頭で笑顔を浮かべるケイパーズは、ゴルフ界の自然児だ。70年間メリオンの会員であり続けるケイパーズは、子宮にいる頃からゴルフとのつながりを持っていた。母のメアリー・ケイパーズは、息子を産む前年に、後に10度優勝するクラブ・チャンピオンシップで初優勝を果たした。ケイパーズ自身も7度優勝している。そして、1966年には、ユニークな母と息子の記録を生んだ。全米アマチュアで、2人とも予選を突破したのだ。さらに、それから50年間にわたり、ケイパーズは毎年必ずメリオンにある2コースのどちらかで70を切り続けている。

それでも、ケイパーズは自分のゴルフに対する情熱が、いつプレーという枠を飛び越えたのか覚えていない。ゴルフの歴史は、ケイパーズにとって北極星であり、その珍しさが好奇心をそそる。ゴルフ・コレクターズ・ソサエティでは最長メンバーであり、2人の創設者に並ぶ勢いだ。

「私は生きる歴史なんだよ」と、ケイパーズは言う。そして、このアーカイブは生きている。現在は退職しているが、アーカイブ関連の活動には、かなり残業をする正社員並みの作業時間に匹敵する労力を注いでいる。集める。収める。ウェブを検索する。そして、メンバーやゲストに、アーカイブを披露することを楽しみにしている。

ケイパーズが案内するアーカイブ・ツアーを、毎年約400人が利用している。このツアーは、素速くザッと見回すものから、時間があれば、クラブハウス内の至るところに展示されるアーカイブまで巡る1時間以上のものまである。ケイパーズにとって、メリオンを楽しみたいなら、ファーストティやテラスバーはもちろんだが、この歴史も欠かせないものだ。「これは20番目のホールなんだ。最後の締めくくり。そして、何よりもみんなでシェアすることができる」。もしメリオンがオフィシャル親善大使を置くなら、ケイパーズこそ、その人だ。

オフィシャルでなくても、素晴らしい仕事を果たしている。「いつも家に帰る前に、誰かアーカイブを見たい人がいないか確かめるために、テラスまで出て見るんだ」。昨秋のある日、この誰かは、ブランドン・デューンズのマイク・カイザーだった。ツアーの最中、カイザーは、ホーガンが使ったマクレガーのアイアンセットをブランドンのショーケースに展示しないかと持ちかけられたが、メリオンの方が相応しい場所だと思ったと、ケイパーズに話している。

毎年寄贈されるアイテムの半分以上は、メンバー以外から贈られたものだ。昨夏にプレーし、アーカイブを訪れたあるゲストは、ボビー・ジョーンズの自伝「Golf Is My Game」のサイン入り本を寄贈した。1971年にメリオンで5位タイになりゴルフ界を驚かせた亡きジム・シモンズの家族は、参加者バッジを寄付した。グラハムは自分のパターを、トレビノは優勝後の写真が表紙を飾る雑誌をサインして贈った。昔のクラブロゴが入ったジッポ・ライター、元クラブ代表の手紙、1930年のイースト・コースの地図なども、アーカイブに寄贈された。今年の初めには、1907年に発行されたゴルフの借用証書が15ドルでeBayに出品されているのをケイパーズが見つけた。借用金額は、落札額とほぼ一緒だった。

「これはみんな重要なものだ。そして、すべてがメジャーに関するものではない。これはクラブに関するもの。今日集め始めなかったら、明日はない。多くのクラブが自分たちに関する情報をまったく持っていないが、本来は持っているべきなんだ」。これは、耳を傾ける人に聞かせるゴスペルでもある。


どうしてか? なぜなら、クラブとはゴルフ好きが集まるコミュニティの場であり、文化が集まる大きな器のようなものだ。そのクラブがケイパーズが愛するメリオンであっても、芝が伸びない地元の公営クラブであっても、ゴルフを楽しむ人々に意義と忠誠心を与えてくれる。過去はプロローグだが、それだけではない。ボロボロの青写真が思慮なく投げ捨てられる時、見当外れなことが重なったり、最古のメンバーが回想録をつけることなしにこの世を去る時、何かが失われていく。それらがなければ、ゴルフは本質を失っていく。それがなければ、ゴルフはただのスポーツだ。

「だからこそ、私は幽霊たちのために働いているんです」とマッチは言う。「彼らの代わりに起きた全てを記録しているか否かは、私たち次第だから」。

私たちの代わり、でもある。

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